徐康哲個展「現像術」
4月16日(水)
|Moon Gallery & Studio


Time & Location
2025年4月16日 13:00 JST – 2025年4月20日 19:00 JST
Moon Gallery & Studio, 台東区北上野2-3-13 上野ダイカンプラザ102
About the event
会期:2025年4月16日(水)〜4月20日(日)
13:00〜19:00(最終日:17:00まで)
1999年生まれ、現在は東京を拠点に制作・生活している。
アーティストは、現代の権力メカニズムにおけるイメージの役割に長年関心を寄せており、その作品は映像アーカイブ、インスタレーション、パフォーマンス、テキストなどの媒体を横断しながら、日常的な視覚秩序の背後に潜む制度的暴力を、冷徹かつ時に機械的とも言える手法で「現像」していく。
彼の関心はイメージの再現力そのものではなく、技術、行政、感情が交錯する中で、いかにして「リアル」という幻想が構築されていくかにある。
その制作プロセスはしばしば、微細な視覚的手がかりから始まり、権力・監視・アイデンティティの仕組みを丁寧に解体していくことで、もともと中立かつ客観的と見なされていた画像システムを、政治的行為の場へと転換していく。
Googleの画像認証、証明写真の規格といった日常的な視覚の規律をテーマにした作品では、常に問いが立てられている――「誰が“可視性”を定義するのか?」「誰が記録される権利を独占しているのか?」
近作の三面映像作品では、第二次世界大戦中にアメリカの元大統領ジョージ・H・W・ブッシュが墜落し海上で生還したという実話を出発点に、国家記憶を神話化するイメージの物語構造を追跡。さらに現代の難民船を歴史の現場に“帰還”させるという行為によって、権力の系譜に対する逆向きの考古学的介入を試みている。
彼の実践は、「もう一つのリアル」を構築することではない。我々が信じている「リアル」が、いかにして構築されているのかを暴くことにある。
現像術(げんぞうじゅつ)とは、もともと写真術の用語であり、フィルムに潜在するイメージを化学反応によって可視化するプロセスを指す。本展において、それは政治的な方法論へと転化される。すなわち、イメージそのものを現像するのみならず、それを支える制度的構造や権力のメカニズムをも露わにし、「不可視」とされてきたものの輪郭を浮かび上がらせる試みである。
イメージは決して中立ではない。証明写真における青と白のグラデーション、キャプチャ認証の中に散りばめられた都市風景の断片、衛星画像に圧縮されたピクセルの残像――これらはすべて、現代における認知のインターフェースであると同時に、見えざる社会的コントロールの境界線でもある。我々が日々「見る」ものは、権力によって選別された、「見てもよい」と許可されたイメージに他ならない。
本展における作品群では、イメージはもはや現実を再現するための手段ではなく、暴力的構造の痕跡として、逆方向から追跡される。三面スクリーン映像作品《Drift Again》では、アーティストは1944年、日本の父島の浜辺に立ち戻る。当時20歳だったジョージ・H・W・ブッシュは、ここで戦闘機から海に墜落し、生還を果たし、のちに「戦争英雄」として神話化された。数十年後、彼はアメリカ大統領として湾岸戦争を引き起こし、無数の名もなき難民を海へと追いやる。アーティストは中国製の小型難民ボートを父島に運び、それを再び「漂流」させる。歴史と地理が重なるその場所に、皮肉な鏡像関係が立ち現れる――戦争の被害者から加害者への変貌、その過程を正当化する装置として、イメージは利用されてきた。
同時に、《Select all images with…》では、日常的なデジタル操作の中に潜む無意識の参加行為に着目する。無数のユーザーがキャプチャ認証のピースをクリックすることで、軍事的視覚システムの訓練に加担し、知らぬ間に戦争装置の燃料となる。《Blue Sky》は、極度に規格化された視覚フォーマットの中に潜む階層秩序を暴き出す。青と白の背景、サイズの制限、表示比率の違い――それらは異なる集団が「可視化される」条件と度合いを暗示している。
展覧会タイトル《現像術》が指すのは、単にイメージが「見えるようになる」ことではない。構造、システム、そしてイデオロギーそのものが表出することを意味する。イメージとは記録ではなく、動詞であり、命令であり、現実を構築する権力の形式である。ここでの「現像」は、逆操作である――既存の物語を分解し、映像装置を解剖し、視覚の裂け目から構造の亀裂を探る行為に他ならない。